看護師が退職し、再就職するまで

私は都内の看護学校を卒業後、10年間看護師として働きました。
でもうつ病を発症してしまい退職。
その後、5年間はマクドナルドでアルバイトをして生活しました。
でもまた看護師として働きたいと思いたち、転職サイトに登録し、今は都内の総合病院で外来外科の看護師長として働いています。
そんな波乱万丈な私の看護人生ですが、一番の転機は看護学校時代の実習だったかもしれません。
今日はその時の出来事を書いてみます。
ナースの式典
私は今から数十年前、通っていた大学の大学病院以外の外部施設での実習していました。
老年期の実習で、医療型施設での実習中のことでした。
大学側からは、まずは事前学習、計画して、その後、担当者の監督の元で実施というのが原則でした。
もちろん資格も何もない人間が実施出来るかどうかの判断すら、話しかけても無視されるような、過度の緊張状態の中での実習だったのです。

何故、過度の緊張状態の中での実習になってしまったのですか?

はい、それは施設側からしたら、実習生はマンパワーに換算されていたからだと思います。
担当の患者さんと同室の方が車椅子移乗を希望され、それを伝えに行こうものなら「あなたが頼まれたのなら自分でしたら?」などの冷たい言葉の雨あられでした。
担当の方以外の疾患情報や、麻痺の程度なども全く知らず、どう対応したらいいかもわかりまでした。
しかし、ナースコールもままならない利用者さまからしたら、同じお部屋にいる不慣れな看護学生でも、希望を伝えたい存在だったに違いなく、後々考えると、施設職員の中にはそのような発言には応対していなかったのかもしれません。
それだけマンパワーが不足しており、ギリギリの施設運営だった為、結果、過度の緊張状態の中での実習になったと今なら思えるのですが、その時の理想に燃えている学生にとってはやりきれない毎日でした。

この実習であなたが感じた改善点を教えてください

実習教官がきちんとそのことについて、指導方針を施設側にも納得してもらえていたら、また異なっていたと思います。
しかし、担当指導教官もまだ若く、苦笑いをするばかりで守ってもらえなかった記憶があります。
「頭でっかちで、立派なレポート書くくせにつかえない」施設側の担当者に言われた言葉は12年たった今も簡単に忘れられるような言葉ではありません。

現在あなたの仕事に実習の経験は生かせれていますか?

はい、自分が実習指導者になった時、その時のことをよく思い出しました。
指導については、実習生に対してもきちんとした応対を心がけられましたし、せっかく同じ道を志す後輩に対して、誠意をもって向き合うことが出来ましたので、反面教師として、とても役に立つ経験でしたが、もう二度と経験したと思いません。
毎日ストレスで自分を奮い立たせて通い、着替えるロッカーで仲間で涙しながらの2週間でした。